大友宗麟(1530~1587)は大友氏の最隆盛期を築いた人物で、キリシタン大名としても有名です。実は、その宗麟がカボチャの渡来に関係がありそうなのです。
カボチャには日本カボチャ、西洋カボチャ、ペポカボチャの三種があり、日本に最初に渡来したのは日本カボチャで、原産地は中央アメリカといわれています。その最初の渡来について各資料には次のように述べられています。
『日本の野菜 青葉高著作選Ⅰ』
「わが国への渡来は天文10年(1541)頃といわれる。江戸時代後期の農政学者佐藤信淵の著した『草木六部耕種法』によると、天文10年ポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、同17年(1548)藩主大友宗麟の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを献じたのがわが国のカボチャの最初としている。そしてこれはシャム (タイ)の東のカンボチャ国で産したものであったのでカボチャと呼んだ。」
『朝日百科 植物の世界7』
「日本へのカボチャの渡来は、天文年間(1532~55)にポルトガル船がカンボジア産カボチャを豊後国(大分県)へ持ち込んだのが最初とされる。…天保飢饉のおり、(大分出身の)農学者大蔵永常は『かまどのにぎわい』(1833年)で米の節約のためにカボチャ飯の炊き方を奨励した。」
『南蛮から来た食文化』
「かぼちゃは、カンボジア王国から渡来したのでその名があるといわれるが、その年代については諸説あって、天文年間のころ、豊後の大友宗麟に謁見した宣教師パルタザール・ガコが伝えたという説と、天正年間(1573~1592)に南蛮船が長崎に西瓜、南瓜、馬鈴薯、とうもろこしを伝え寛永になって広まったという説がある。」
カボチャの渡来には諸説あるようですが、豊後国渡来説はなかなか有力な説のようです。そうしますと、カボチャの渡来と同時期を生きた大友宗麟が、それに関係した可能性は大いにありそうです。