しいたけ栽培の祖といわれる松下源兵衛について知りたい。

大分県のしいたけ栽培の歴史は古く、江戸時代の初期から県南を中心に栽培されてきました。その技術は優れており、山口県に残る記録の中で、「椎茸製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」(明治17年)とまで言われています。そのしいたけ栽培の起源については、いろいろな説があり、松下源兵衛を祖とするという説もそのひとつです。

寛永年間(1624から1643年)、佐伯藩の千怒の浦(現津久見市)に、源兵衛という百姓がいました。出稼人となって宇目郷の葛の葉(木浦の西山付近)に移住し、炭を焼いて生計を立てていましたが、ある日炭焼き用の残り材木に、たくさんのしいたけが発生しているのを見つけます。源兵衛はこれにヒントを得て、人工的に栽培することを思いつき、研究を始めたと言われています。

しいたけの栽培法は、宇目一帯から大野郡に伝わり、やがて県下全域に広がっただけでなく、宮崎、熊本、鹿児島などにも伝えられていきました。

参考資料

  • 『大分県椎茸史』古長敏明 大分県農業振興運動協議会 1966年(K657/KO15)
  • 『豊後の茸師』青木繁 富民協会出版部 1966年(K657/A53)
  • 『大分のしいたけ』伊東六郎 アドバンス大分 1980年(K657/I89)
  • 『きのこの砦』伊東六郎 清文社 1988年(K657/I89)
  • 『シイタケ栽培の史的研究』中村克哉 東宣出版 1983年(K657/N37)
  • 『大分の茸山師』源兵衛翁顕彰事業発起人会 1978年(K657/G34)
  • 『大分百科事典』大分放送 1980年(K030/O34)

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