大分県のしいたけ栽培の歴史は古く、江戸時代の初期から県南を中心に栽培されてきました。その技術は優れており、山口県に残る記録の中で、「椎茸製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」(明治17年)とまで言われています。そのしいたけ栽培の起源については、いろいろな説があり、松下源兵衛を祖とするという説もそのひとつです。
寛永年間(1624から1643年)、佐伯藩の千怒の浦(現津久見市)に、源兵衛という百姓がいました。出稼人となって宇目郷の葛の葉(木浦の西山付近)に移住し、炭を焼いて生計を立てていましたが、ある日炭焼き用の残り材木に、たくさんのしいたけが発生しているのを見つけます。源兵衛はこれにヒントを得て、人工的に栽培することを思いつき、研究を始めたと言われています。
しいたけの栽培法は、宇目一帯から大野郡に伝わり、やがて県下全域に広がっただけでなく、宮崎、熊本、鹿児島などにも伝えられていきました。