藩校というのは、江戸時代に幕府・諸藩が、主として幕臣・藩士の師弟を教育するために自領に設置した教育施設のことです。大分県内には、中津進脩館(しんしゅうかん)・杵築学習館・日出致道館・府内遊焉館(ゆうえんかん)・森修身舎・岡修道館・臼杵集成館・佐伯四教堂(しこうどう)の8藩校と旗本学校立石無逸館(むいつかん)が設置されていました。一県内に9校も設置されたというのは、全国でもあまり例がありません。岡藩の修道館(享保11年(1726)設立)は、全国の藩校の総数約280のうち32番目という早さで設立されています。明和8年(1771)の府内藩の遊焉館設立の頃から全国の藩校も急増期に入り、文政期から安政期にかけて普及度は最高に達しました。当時、諸藩の財政は厳しいものでしたが、文学校と武学校を設けて文武両道を修めさせ、質実剛健の気風を高め、藩政改革の実を挙げようとしたのです。
なお、各藩とも明治4年(1871)の廃藩置県に当たって閉校となり、現在では直系にあたる学校は存在していません。