近年、お接待は姿を消しつつあり、知らない世代が増えています。消えゆく伝統行事、お接待とはどんな行事なのでしょうか。
お接待といえばどうしても四国巡礼が思い浮かびます。『四国遍路の民衆史』にはお接待について次のように書かれています。お接待の考え方などがよく分かると思います。
“「接待」という名の福祉活動
遍路を助けよう
どんな貧しい人でも長旅の遍路に出られたのは、地元四国で「接待」という行為がなされていたからである。つまり、遍路している人を助けるために、米・味噌・野菜の食べ物や、わらじ、手拭、ちり紙などの必要品を与えてねぎらう風習がそれである。…遍 路者を信仰心厚い求道者として遇する社会の同情も消えることはなかった。…また接待が積極的に行われたもう一つの大きな理由は、…遍路への施しが大師(弘法大師空海)への供養・報謝と同意義だという感覚が育まれたからでもある。… ”
このようにお接待とは大師信仰から生まれた風習・行事で、寺社への参拝者に飲食物をふるまうことですが、一般には弘法大師を信仰する人々が、毎年旧3月と7月の21日に大師の像をまつり、参拝者に菓子やモチ・握り飯などを接待することをいいます。
大分県内のお接待をいくつか紹介します。
国東地方 『くにさき』より 「3月21日の弘法大師のお接待。この日と7月21日の年両度。座元が廻り番で、米を集めて炊き、お参りの人たちに接待する。組持ちの石像の弘法様があって座元 が保管したり、大師堂にあるお姿をこの日だけ座元に持ち出したりする。」 大分市大在 『大在民俗誌』より 「弘法大師の縁日である旧3月21日は、お大師さまを祭る家や大師堂のある家では小豆ご飯や五目飯を炊き、お菓子などを用意して人々を接待した。この日、子供たちは袋を持って、お接待をもらいながら学校に行ったが、学校の方でも始業時間を下げて子供たちをお接待に参加させたものだ。」 津久見市 『大分の民俗』より 「県南海岸部では、本四国に出かけて巡礼者を接待する大師講があった。津久見市徳浦では、旧3月のお大師祭りに接待菓子をもらい歩き、それを売って米を買い加え、講員が連れだって宇和島市に渡る。四国霊場の竜光院に泊まり、そこでお遍路さんに飯の接待をしていた。」