府内戦紙は毎年8月に開催される大分七夕まつりの催しのひとつです。府内戦紙の由来を調べに来館する子どもも多い人気の催しですが、初めはたった1基の山車からのスタートでした。
昭和60年、大分商工会議所青年部によって作られた1基の山車が大分七夕まつりの市民みこしに登場しました。この山車は、当時の市長 佐藤益美氏に子どもの頃遊んだ「ぱっちん」(めんこ)の絵柄のようだと評されたことから、「府内ぱっちん」と命名されます。
当時は府内戦紙として独立したイベントはなく、市民みこしのひとつとしての参加でした。昭和63年には新たに2団体の山車が加わり、さらに平成元年になると山車の数は12基に増え、府内戦紙として独立した時間枠で実施されるようになりました。今ではみなさんご存じのとおり、大分七夕まつりに欠かせない催しになっています。
府内戦紙について詳細に書かれた資料はほとんどありませんが、府内戦紙オフィシャルホームページが作成されており、その中で府内戦紙の由来や歴史について知ることができます。また、その他の資料では初めて作られた山車の写真を見ることができます。