終戦後、大分市にあった「アメリカ図書館」について知りたい。

荷揚町の旧武徳会事務所(武徳殿横)の一棟に、軍政部の厚意で「アメリカ文化図書館」が開館したのは、昭和22年4月のことでした。終戦後、日本の民主化をめざす占領軍総司令部は、各地方ブロックの中心地にCIE図書館 (CIE:Civil Information and Education Section)を開館していました。CIE図書館は文化宣伝機関ですが、アメリカの公共図書館式の運営で、日本のモデル図書館の役割も担っていました。当時の日本の公共図書館は、その明治以来の歴史に見合った発展を遂げているとは言えず、そのうえ多くの館が戦災を受けて壊滅していたのです。

館の舎屋は3室、窓と廊下が広い立派な木造建でしたが、翌23年6月現在の蔵書数が約1,800冊ですから、図書館とは言っても、実態はささやかな資料室程度の規模でのスタートでした。蔵書の内容は、小説類、実用書から専門書まで幅広いもので、蔵書のなかには約100冊の絵本も含まれていました。

昭和24年6月、アメリカ文化図書館は軍政部から離れて、福岡CIE図書館(福岡アメリカ文化センター)の大分分館となります。館内では、英会話クラブや週1回のレコードコンサートが行われ、英会話クラブは県立図書館と合併後も長く続きました。

昭和28年、アメリカ文化図書館は4月1日付で閉鎖となり、施設、資料は県立大分図書館に引き継がれ、外国資料室として活用されることになりました。

参考資料

  • 『大分県立図書館百年史』大分県立図書館 2005年(K010/O34)
  • 『教育大分 第25巻8号』大分県教育広報協会 1973年(K370.5/KY4)
  • 『九州図書館史』西日本図書館学会 千年書房 2000年(K010/N85)
  • 『戦後県政の回顧』大分県総務部企画調査課 大分県 1951年(K317/O34)

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  • アメリカ文化図書館