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大分に野球を伝えたB・W・ウォータス師について知りたい。

大分中学校第二代校長・鎌田栄吉はかねてより、外国語教育には良い外国人教師が必要であると考えていました。県にその考えを述べ許可をもらった鎌田は、面識のある南メソジスト教会に教師の推薦を依頼しました。明治21年(1888)3月、一人の宣教師が派遣されてきました。それがベージル・ワシントン・ウォータス師です。

ウォータス師は米国にいたころ野球の選手だったので、日本にそれを広めたいと思い、野球の道具を携えて大分へ赴任してきました。そして、持ってきた硬球6個のうち4個を生徒に贈り野球の指導を始めました。師の授業では教室へ入ることは少なく、実地に英語を覚えさせるという名目で、もっぱら運動場で野球をさせながら英語を教えたといいます。これが、おそらく大分における野球の始まりであろうといわれています。

ウォータス師が5ケ月で大分中学校を去った後の詳しい履歴は分かりませんが、明治39年4月から43年3月まで中津中学校に在職したことは記録に残っていますので、そこでも野球を教えたのかも知れません。
 

 

参考資料

・『上野丘 百年史』 大分県立上野丘高等学校上野丘「百年史」編集委員会 1986年 (K376.4/O34)
・『大分県体育協会50年史』大分県体育協会 2002年(K780/O34)
・『青春の球譜 大分県高等学校野球史』大分県高等学校野球連盟 1989年(K781/O34)
・『大分県英語教育100年の歩み』大分県英語教育研究協議会 第一学習社 1970年(K372/O34)
 

キーワード

・ウォータス
・野球