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「大分県行進曲」誕生の経緯と作詞・作曲者について知りたい。

  「耶馬の流れの水清く 久住の原の空高し
  南蛮船の行き交いし 淡路はいずこ 豊の海」

これは、昭和10年(1935)に作られた「大分県行進曲」の一節です。当時の大流行をご存じなくとも、この歌詞は耳に残っているという方も多いのではないでしょうか。「大分県行進曲」は、『豊州新報』(大分合同新聞の前身)が創立50周年の記念行事として歌詞を公募、その1位入選の作品に曲を付けたものです。同年7月にレコードが発売されるやいなや、県内各地で大変な人気を博しました。その後、日本体育ダンス研究会の振り付けによる「希望の光」というダンスが作られた影響で、その人気は全国へと広がっていきました。

作詞者の庄武憲太郎は、西国東郡朝田村(現大田村)出身で、大分師範から日本大学に進み、国語漢文を専攻。旧制中学で教鞭をとるかたわら作詞活動を続け、消防歌、校歌など数多くの秀作を残しています。昭和10年春から札幌商業教諭として北海道に勤務し、「大分県行進曲」は同地へ出発前の作品だったということです。

作曲者の江口夜詩(1903~1978年)は海軍軍楽隊員を経て、昭和初期から歌謡曲の作曲を手がけ、古賀政男とともに歌謡界の双璧と謳われました。作曲数はおよそ4000曲で、「憧れのハワイ航路」、「赤いランプの終列車」など、多数のヒット曲を生み出しました。

 

参考資料

・『続 ふるさとのうた』加藤正人 大分合同新聞社 1979年(K388.9/KA86/続)
・『大分合同新聞社百年史』大分合同新聞社 1991年(K070/O34)
・『現代日本人物事典~20世紀WHO'S WHO~』旺文社 1986年(281/86)
・『大分合同新聞』2004年7月3日夕刊
 

キーワード

・大分県行進曲
・豊州新報